日本が初めて参加したオリンピック

第5回ストックホルムオリンピックポスター

(第1回大会アテネオリンピックのポスター)

 

第5回大会 ストックホルムオリンピック(Games of the V Olympiad Stockholm 1912)は、1912年5月5日から7月27日まで、スウェーデンのストックホルムで行われました。

日本がオリンピックに参加したのはこの大会からです。陸上競技で短距離の三島弥彦とマラソンの金栗四三の2名が出場しました、三島は400メートルの準決勝で棄権、金栗は日本での選考会で当時の世界最高をメークしていましたが、日射病のため32キロ地点で棄権となってしまいました。金栗がこのマラソンを棄権したことが記録になく行方不明になっていたことが1967年のストックホルムオリンピック55周年にあたり発覚し、記念式典に金栗を招待し会場でテープを切りゴールさせました。これにより金栗は54年8ヶ月6日5時間32分20秒3で世界一遅いマラソン記録を残しています。この男子マラソン競技は68人中33人が棄権するという過酷なレース環境で脱水症状でポルトガル人選手が死亡、初めて死者を出すオリンピックとなってしまいました。

男子近代5種競技がこの大会から採用されました。ベルリンで1909年に行われたIOC委員会でアジアで初めて嘉納治五郎がIOC委員に就任しました。

この大会までは金メダルは純金製の金メダルが使われていました。(今は銀製に金メッキ)

(ウィキペディアフリー百科事典より参照)

 

そのころ世界では・・・

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明治天皇がこの年の7月に逝去、元号が大正となった。中国大陸では、清朝の宣統帝(溥儀)が退位を余儀なくされ、数千年にわたる中国の専制王朝体制につい に幕が下りた。豪華客船タイタニック号がその処女航海で氷山に激突、沈没したのもこの年。犠牲者は乗員・乗客を合わせておよそ1500人に上った。
〔主要参考資料〕近代オリンピック100年の歩み(ベースボールマガジン社)、最新スポーツ大事典(大修館書店)、オリンピックの事典(三省堂)、国際オリンピック委員会の百年(IOC)、日録20世紀(講談社、JOCホームページ